うつにっき -うつ病の治療きろく-

うつ病の治療や過去の振り返り、新しい生き方の模索などを記録していくブログです。

本田圭佑のツイートに思うこと

 先日、サッカー選手である本田圭佑氏(以下、本田選手)のツイートに関する下記の記事を読んで、ブックマークコメントを残したところ、多くの方からはてなスターを頂きました。

hirokimochizuki.hatenablog.com

 コメントの内容は、「自分も以前は自己責任論を振りかざしていたけど、うつ病になって努力や気合でどうにもならない状況に直面して、ブーメランのように自分に返ってきて非常に辛かった。また忘れてしまわないようブックマークしました。」と書いたものの、自分のコメントに対して、少し補足しないといけない気がして、記事を書くことにしました。

 ちなみにこの記事で話題の対象としている本田選手のツイートはこちらです。

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一般論としては同感

 本田圭佑氏のツイートの内容自体は、一般論としては私も同意見です。現状を悲観して、他人のせいにしてグダグダ言ったところで、状況が改善する訳でも無いし、時間の無駄になるだけ、今の環境に感謝し、少しでも前に進む努力をしよう。というのは正しいと思います。

 でも、それはあくまで原則論や一般論であり、多くの場合はそれに当てはまるということにすぎません。原則や一般というものがあれば、例外もまた存在するものと考えています。

何が問題に感じたのか

 ツイートの内容が問題無ければ、いったい何が問題と感じたのか。それは、若者の自殺が多いというニュースに対してのツイートであったことです。

 「多くの人」にとっては、本田選手の言葉のとおり、多かれ少なかれ感謝すべき人間関係や環境があり、努力すれば結果が付いてこなかったとしても成長や経験には繋がると思います。

 でも、自殺まで追い込まれてしまった人に、その「多くの人」に当てはまるような人間関係や環境があったり、努力すれば状況を改善させられるといった前提条件は無かった、もしくは他人から見てやりようはあったとしても、その人にとってはやりようが無かった状態だったんじゃないかなと思うのです。

 本田選手はそんなことは考えずに何となくツイートしただけだとは思うのですが、結果として、正論や一般論を、例外的な状況にある人にまで当てはめようとしたことは良くなかったのではないでしょうか。

私自身の事

 

 私自身は大した経歴や実績も無い人間ですが、それでもこれまで自分なりに努力して、受験も就活も失敗しながらも、周りに人からは極めて順調と思われるような人生を過ごしてきました。

 イメージできることは頑張れば達成可能、他人ができることは努力すれば自分にもできるはず、失敗したとしても知識や経験は残ると考え、できない人の事を努力が足りないから、視野が狭いから、やる気が無いからなどと思っている節がありました。

 

 でも、2年ほど前にうつ病になってから、状況は一気に暗転しました。キャリアアップとなる転職の話は無くなり、今の職場では降格し、今までのどんな時よりも努力しているつもりなのに、凄まじい疲労感や不安感を抱えながら、人並みの仕事ができているかどうかも怪しい状況。今までは活躍できることが当然だと思っていました。

 思い描いていたキャリアを歩むことはできなくなってしまったものの、今の職場に留まれて、生活ができているのは、まだ恵まれている方だと思います。

本田選手のツイートでは自殺予備軍を全く救えない

 

 自殺した方の多くは私なんかと比べ物にならないぐらい悲惨な状況で、必死に努力したところで状況を好転させることもできなければ、逃げることもできない環境にあったはずです。

 自分が必死で動くなり、逃げたりして、それで好転させられるなら、その糸口が見えるなら、とっくに行動に移していると思うんです。それが、不可能だと本人が感じてしまったからこそ自殺に至るのではないかと思っています。

 周りからみて、どうにかなったでしょうというのは、自分が本人の立場だったなら、というのを浅く捉えているだけで、本当にその人の立場に立つなら、自殺をしようと決断した事実がその人にとっての全てであり、それに至った経緯を紐解いていかなければいけないと考えています。今の自分がそのまま相手の立場だったらで物事を語るのはちょっと浅すぎるんじゃないかなぁ。

 ということで、若者の自殺についての本田選手のツイートは、正論ながら極めて無責任な発言だなぁと思ったのでした。ニュースに対してのツイートじゃなかったら良かったのにと思います。